以前の記事
2011年 12月
2011年 11月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月


爆睡

オハヨウゴザイマース・・・

えー

キモチは
スタードッキリマル秘報告
の寝起き
リポーターでーす

えー

はい
昨日は

午後7時より
爆睡しておりました

はい

えー



まー
そーゆーことも
あらーな



つーか
昨日は
その
近所のね
お寺の法要の手伝いに行ってて
まー夕方に帰ってきたんですよ

んで
パオの散歩をして
お風呂に
ユックリ浸かって

ネットをみて

あー
コメントきてるなー

書かなきゃなー

ヨシ
ちょっと寝て
スッキリさせて
書こカナ


午後7時

チョックラ
横になった

アト・・・

目が覚めたのが
午前4時

oh・・・
my・・・

・・・

ま、ね

よかさ
タマニハ

はい

ってことで

うーん

えー
昨日ね
転載しようと
思って
ご本人の承諾を
得たので
早速
貼り付けようと

して

寝てました
・・・
ハンセイ
・・・

イエナさん
スイマセン

ってことで
mixiより
イエナさんの書き込みです

転載します

---------------------

はじめまして。私は一卵性の男の子の双子を妊娠していましたが、胎盤が1つしかなく、栄養のやり取りがうまくできなくなって一人は17週くらいで亡くなってしまいました。
 初めての妊娠だったので、お腹の張りにも気付かず、働きながらかなり辛い日々でした。里帰り出産と言う事で、紹介状を持っていった病院で
 「一人のお子さんに血流が認められません」
 と言われて、
 「え?何言ってるのこの人?」
 という感じで信じられませんでした。
赤や青の血流を示すモニターが、ほんとに一人にはなくて、もうショックで涙が止まりませんでした。
 すぐに神奈川の主人を伊東の病院に呼んで一緒に話を伺いました。今のところ生きている子も、2ミリくらい浮腫んでエコーに移りました。一人が亡くなった為に、一時的に栄養が一人に勢いよく行ってしまっているようでした。
 即入院したのが20週。切迫流産の時期。
 「22週までなら法律的に中絶できる期間です」と説明を受けて、どうするか毎日旦那と話しました。
 亡くなってしまった子のものが、胎盤を通して生きている子に運ばれていったりしたら障害になるとのこと。
 データを見せてもらうと、27%の確立で障害が残るという物でした。
 主人は、「今回は諦めよう」と言う意見でした。
 私は、「障害が残っても生みたい」でした。
 なんで何の罪もない子供を、親である私達の意思で殺さなくちゃならないの?無条件で愛すべき命なのに、頑張って苦しいのに生きてるのに、どうして殺す事ができるの?この子を殺したら、亡くなった子の死が無駄になる。
 だって、鼻や口の形、手の形もちゃんとできて苦しいのに頑張ってるんだよ。
 母たちも、「堕ろせないよね」とわかってくれました。
 兄はいつも殆ど話さないのに電話をくれて「俺は娘に障害があったとしても、かわいいと思うよ。」と泣きながら言ってくれました。
 主人はこの子がかわいくないんだ!と怒りが込み上げたこともありましたが、後から主人の友人から聞いた話によると、
 「俺たちが死んだ後、この子はどうやって生きていけばいいんだ・・・」と話していたと聞いて涙が出ました。
 私は感情的にただ殺したくないの一点張り、主人は父親としてちゃんと先の先まで考えて悩んでいました。

 「天気予報で30%雨だったら雨が降るね」
 と覚悟して、
 「障害が残っても育てていこう」という意見になって、先生にお願いしました。
 102日間の入院生活。24時間ウテメリン点滴。刺す血管がなくなって、おまけに血管炎でミミズが這っているように腫れ上がりました。あまりに看護師さんが刺すのに苦戦して一回で入る日なんてなくなり、3回目でやっと。でも一日もてばいいほうでした。
 6人の大部屋でみんな長期入院。自然と仲良くなって、クリスマスもお正月も病院だったけど3ヶ月ちょっと乗り切れました。

 33週で帝王切開。1650gの男の子を出産しました。すぐに順天堂のNICUに搬送されましたが、顔の横に連れてきてくれた時、私の指を握ってくれて涙が止まりませんでした。

 「亡くなってしまった子とも対面しますか?」 
 と先生に聞かれたとき、「会います」
と答えたので、横に連れてきてくれました。ちゃんとおちんちんもついていて、手も指もありました。
 後から先生が病室に着て皆家族もその子に対面しました。
 主人は「抱っこしてあげるんだ」と前から言っていたので抱いていました。
 へその緒がきつくねじれていて、栄養が行かなくなって亡くなってしまったとの事でした。
 先生が「亡くなった子の血の塊とかがへその緒を通して運ばれないように、きつくねじれたままになってたよ。兄弟思いだね、この子は。」といったとき涙があふれて止まりませんでした。
 
 火葬にする日、小さい箱を用意してきてという事で主人がハートの赤い箱を持ってきてくれました。
 私がバレンタインにチョコを入れた箱。花でいっぱい埋もれるくらいに飾りました。
 飲ませる子はいないのに、悲しいくらい胸が母乳で張っていて、助かった子には搾って冷凍して届る事になっていました。
 亡くなってしまった子に、母親らしい事ができなかった・・・と泣けて泣けて仕方なかったので、看護師さんにシリンジを借りて搾った母乳を口元に流してあげました。
 先生も、看護師さんも泣いてくれました。
 火葬場でも泣きっぱなしでした。あまりに小さいから骨が残らないかもしれないといわれましたが、弱い火で焼いてくれたのでちゃんと小さい骨が残りました。
 母親達が私を元気付けようと、助かった子に会いにいこうといってくれて、遺骨をもったまま管だらけの息子に会いに行きました。
 太股もがりがりのしわしわで頼りなげでまた涙が出ましたが、頑張って生きていました。

 このときお世話になって一緒に泣いてくれた先生とは、手紙や年賀状で近況報告をしています。NICUで担当してくれた看護師さんは、初めての担当だったらしく、とてもうちの子に思い入れがあるとのことで、1カ月検診の時に夜勤明けに小児科の前で待っていてくれました。大きくなった息子にも2回会いに来てくれました。

 2年後にまた妊娠して、男の子だとわかったとき、お墓参りの帰り主人に
 「やっぱり男の子として生まれてきたいんだって」
 と言って笑いました。
 やっと、あの時亡くなった子が戻ってきてくれて4人家族になれた気がします。

 長くなりましたが、読んでくれてありがとうございました。
 2歳8ヶ月になる長男に日々手を焼いていてこんな大変だった事も忘れかけていたので、新鮮な気持ちに戻れました。
 改めて、命の大切さを思い出せました。

--------------

命って
「息吹」の「霊」
が語源ナンデス

「いぶき」の「ち」

「ち」は「水霊ミズチ」とか「おろち」とか
霊性をアラワス「ち」デス

イエナサンから
暖かいメッセージもイタダキマシタ
ホントありがとう
[PR]
by kouhouji | 2006-11-18 07:49
<< 関根裕治 自業自得 >>