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関根裕治

関根裕治さんの詩デス
転載します

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彼の友は死んだ
ハンドル操作を誤った一瞬に
無念にもやり残した山ほどの野望を 
雨の路上に置き去りにして

彼女の従兄弟は死んだ 
若さゆえ進行のはやい癌で
震える唇から最期に漏れた言葉は
「死ニタクナイ」
だった

彼の妹は死んだ
見知らぬ男に弄ばれたあげくに
山に捨てられた 
看護士になって
命を救うのが夢だった

彼女の恋人は死んだ 
知っていたはずの余命を隠して
幸せになろうねと笑ったのに 
たったひとりで


誰にもわかってもらえないと訴え 
己の涙を悲劇化する者が
人の気持ちを
分かろうとしているところを
見たことがない

誰にもわかってもらえない
と叫び 
孤独を特別視する者が
本当の孤独に苦しむ人に
勇気を与えているところを
見たことがない

死をほのめかすことで
他人の気を
惹こうとしている者が
病に倒れもがく人を
励ましているところを
見たことがない

人間など
誰もがひとりぼっちで
それを認めたときから
優しさは始まるということを
死にたがっている人の口から
聞いたためしがない


そしてまた一つの報道 
命を二束三文にした四輪車
五里霧中の山麓にて発見 
六体の死体と七輪

命とは

意志とは無関係に
存在させられた
はかない不条理か

はたまた
かけがえのない
一度きりの光彩なのか

ある人は言う

集おうが
何しようが
死にたい奴は
死なせておけばいいと

またある人は言う

命だけは
決して
粗末にしてはいけないと

教育者達は
こぞって命の大切さを
教えなければと言い

博識者達は
「なぜ人を殺してはいけないか」
の論議に花を咲かす

生きたいのに
死んでいった者たちの
魂を弔いもせずに


命の大切さなど
手取り足取り
教わるものだろうか

人を殺してはいけない
わけなど答えがあるものだろうか

自ら命を絶つことは
是だろうか
非だろうか

わからない 
教わってもいないし
答えも知らない

でも

わたしは生きる
自ら死にゆく者たちと
同じ勝手さで

わたしは
生き抜いてゆこうと思う

生きたくとも叶わなかった
人々の分まで


なぜ
生きているのか
わたしは知らない

なぜ
人を殺してはいけないか
わたしは知らない

なぜ
自ら命を終えるべきでないか
わたしは知らない

でも
生きる権利はある


生きたい

それが
たとえ格好悪く
卑小なことでも

命が
たとえば
はかなく
小さな火のようなものだとしても

わたしは生きたい

闇が
世界を包むように見えても

ひとりぼっちでも
明日の空が気にかかるんだ

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by kouhouji | 2006-11-18 17:25
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