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さっそく

先日の
全国
臨黄合同協議会
において

2日間
討議いたし
マシタ
内容について

・・・
ウーン

疲れるので
4部構成
でいいですか?

はい
イイヨ

あ、
アリガトウ

ってことで

今日は第1部

あ、
それと

改行も
シマセン

読みにくいかもしれませんが

・・・
こっちがいい
って言う人も
イルシ・・・

私のスタイルでは
ナイケド

ま、
ソウイウコトデ
1255文字です

ハイ

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いじめ問題について

あるアンケートによると生まれてきて良かったと思う人はアメリカの場合60%程度であるが、日本の場合は15%に満たないと言う。奈良で起きた家族を放火殺人を犯した歯科医師を目指していた青年は取調べで「今の自分を消したい。生まれる前に戻りたい」と言った。近代成熟期と言われる現代、努力=結果と言う構図が失われ、誰しも孤独で不安な中にいる。現代のいじめを心理学的に考察するといじめの加害者は「ああはなりたくない」という心境から、また被害者は「あのグループに残りたい」という心境から個人対全体といういじめの構図を誘発するという。
その利己的で無関心な感情、行動が駄目だと言える人物や組織が残念ながら失われて思うように育っていないのが現状である。またその状態を家庭、地域そして社会全体が見て見ぬフリをしてきた。例えば家庭では子供がどんなに公共の場で他人に迷惑をかけても諫めようとしない。その親が仏壇に手を合わせることすら知らない。それを教えるべき寺院は廃仏棄釈以降、明治維新憲法、世界大戦と法を説かず、社会に迎合してきた。その結果長い時間を掛けていじめの種が根を張り、その弊害が子供達、学校へのしかかってきている。つまりこれからのいじめの問題を解決していくには古き良き時代に戻る対応に捉われず、これからの未来へ繋げるための世代を超えた知恵が必要となってくる。
ここで前提としておくべきことはいじめられる側に問題があったとして、それがいじめられる側の心の問題であったにしても、だからいじめられる、だからいじめてよい、ということとは別問題であり、正当な論理とは言えない、と言うことである。
大事なのは他を変えようとするのではなく、自分が変わることで他人が変わるのである。
それでは如何に自分を変えていくのか。
禅宗の修行道場では一般的に見ればいじめとも取れる言動が日常的に行われ、全ての禅宗の僧侶はその経験を積んできている。その時に自分の心の中である変化が起きる。それは徹底的に自分と向き合うと言うことと、その苦しみを分かち合っている仲間の存在を認識することである。
自分の身に降りかかる難題に対して痛みを共有してくれる仲間の存在と、自己を見つめる坐禅や作務の実践が、そのいじめとも言える行為が自分自身の心を自尊心への昇華させてくれる糧となり、痛みを分ち合える存在の必要性を気付かせてくれる。
つまり今ここにあるものの大切さを認識できる。
この修業道場での体験を一般的に実践しようとするときに、必要となってくるのは「祈り」である。十数年前北陸3県では全国的に見ても殺人事件の発生率が全国的に極端に少なかった。これは人口に対するお年寄りの割合が高く、そのお年寄りの拝む姿を家族が見て育ったことによるものだと言う報告がある。故盛永宗興老師は「祈りの中で元の自分に戻っていく。感謝の中で自分の間違いが正されていく」と仰った。生まれる前に戻りたいと言った青年のように、本当は清らかな人間に戻りたいと誰もが願っている。その為には日々の祈りの中で日々、元の自分に戻っていくことを伝えていくべきである。
しかし我々が「祈る」ことなど出来るのであろうか・・・

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つづく

マタ明日~
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by kouhouji | 2007-02-10 19:21
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