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2006年 10月 12日 ( 1 )

変えてみました

オハヨウデス

えー
表紙変えてみました

えー

携帯で御覧のカタは
変わりませぬ・・

スマヌ

はい

携帯で御覧のカタ

たまには
ネットカフェ
とか

つないで見てみるのも
イイデスヨ

新鮮で

ホームページも見れるし
あ、

武雄。高峰寺で検索したら
デマス

うーん

ヨロシクデス

はい

えー

風邪継続中
確変
6連チャン
です

今日病院に
行って
注射

お薬
イタダキマシタ

今から
おとなしく寝ます

と思ったけど
とりあえず

昨日の
コメント
たくさんいただきまして

ミナサン
ありがとうございました

(人-)謝謝(-人)謝謝

(人∀-)謝謝(-∀人)謝謝

(人┏Д┓-)謝謝(-┏Д┓人)謝謝

ご心配頂き
ましたが

元気になったよぉ~
♪( ̄▽ ̄)♪アニョ~ン♪♪

・・・

っと
言いたかったのですが

マダムリ

スマソ

えー

お礼だけは
言いたかったので
up
シマスタ

えー
今から
休息に
はいらさせていただきます


まー
昨日UPする予定
だった
心理学

続き

転載してからにします

内容は
チイト
難しいカモ


えー

カタカナって
難しく感じるんだよね~
・・・
アイデンティティとか
モラトリなんとか
・・・

でも
ゆっくりよんだら

ナルヘソ~

( ̄- ̄)フーン

( ̄。 ̄)ホーーォ

なんとなく
なっとく
できると思うよ

では

----------------
青年期 

中高生(または大学生)のころ 自我同一性(アイデンティティ)
中学生の心理・高校生の心理・大学生の心理

この時期は、「自分さがし」の時期です。
自分はどんな人間なのか。
どんな性格なのか。
何をやりたいのか。
どんな職業につきたいのか
(そのためにはどんな学校に進学するのか)。

そして、自分は一体誰なのか。

進学や就職で悩まない人は、ほとんどいないでしょう。
また、青年期の人たちは、性格テストなどが大好きな人が多いようです。
自分が誰なのかを知ることを、自我同一性(アイデンティティ)を確立すると言います。

自分は、他の誰でもない、
まぎれもなくユニークな自分自身であり、
現在の自分が何者であるか、
将来何でありたいかを自覚すること・・・

つまり自分を発見することがアイデンティティの確立です。

自分は一体誰なのか?
という悩みは、経験したことのある人にとっては、とてもよく共感できる深刻な悩みです。

しかし、体験がない人にとっては、具体的な進学や就職の悩みは理解できても、自分は何なのかなどという悩みなど、全く理解できないかもしれません。

今、これをお読みのあなたは、
いろいろな年齢の方がいらっしゃるでしょうが、
大変な悩みの末にアイデンティティを確立した方もいるでしょうし、
あまり悩まないで、この問題を解決した方もいるでしょう。

また、これから大きな悩みの中には入っていく人もいるでしょう。


自分を発見すると言っても、

自分は役立たずのダメな人間だ

と感じてしまうとしたら、それはアイデンティティの確立とは呼びません。

アイデンティティとは、
社会の関わりの中で身につける
自分の役割、
自分自身の価値についての
確信
だからです。

人間は誰でも長所と短所がありますが、
たとえどんな欠点があっても、
それでも自分は価値のある人間だという自尊感情(セルフ・エスティーム)を持つことが、
アイデンティティの確立だということができるでしょう。


モラトリアム

アイデンティティの確立を先延ばしにすることを心理的モラトリアムといいます。
こういう人たちをモラトリアム人間ということもあります。
モラトリアム人間などというと、あまり良くない意味で使われることがあるようですが、
この考えを最初に述べたエリクソンは、悪い意味では使っていません。

社会が成熟し、豊かになったからこそ、
青年期(または学生時代)が長くなり、
人生の重大な決定をする前に、いろいろと考えたり、試したりすることができるのです。
その結果、より良いアイデンティティの確立ができれば、それは良いことです。

アイデンティティの確立とは、別のことばで言えば、いろいろな可能性を切り捨てることとも言えます。

たとえば幼稚園に行っている私の子ども達は、
大きくなったら、うどん屋さんになりたい、正義の味方ビーファイターになりたい、ウルトラマンのガッツの隊員になりたい、宇宙飛行士になりたい、サンタクロースになりたいと、いろいろなことを言います。

何にでもなれると思っているのです。
これは、子どもとしてごく普通のことであり、良いことです。

高校生でも、声優になりたい、漫画家になりたい、看護婦になりたい、プロ野球選手になりたい、
大学に行って弁護士になりたい、医者になりたい、いろいろなことを思うでしょう。

夢を持ち、大きな可能性を信じることはすばらしいことです。

でも、小さな子どものように自分は何にでもなれると単純に信じることはできません。
なりたい職業全部につくことはできません。
どれかをあきらめ、どれかを切り捨て、自分の道を選ばなくてはなりません。

結婚相手を選択するのも同じです。

アイデンティティの確立とは、時には、他の可能性を切り捨てることになるので、それでとても辛い作業になるのです。

だから、アイデンティティの確立を先延ばしにするモラトリアムがあるのです。
昔の社会なら、とっくに社会の一員としての責任を追わなくてはならない年齢になっても、
もうすこし準備期間を長くしようというわけです。

現代的モラトリアムの問題点

モラトリアム自体は、悪いわけではないのですが、
現代のモラトリアムは、昔とは質が変わってきたようです。

昔のモラトリアム人間たちは、強い半人前識を持っていました。
そして、一生懸命努力して、早く一人前になりたいと思っていました。

自分はまだ、見習いだが、早く親方のような立派な親方になりたいとか、
早く社会にでたいとか、思っていたわけです。

また、修行の期間や学校に入ることを認めてくれた親や社会に対して、
申し訳ないという思いと、
感謝の思いを持っていました。

ところが、現代のモラトリアム人間たちは、自分の今の生活を当然だと思っています。

親から仕送りを受けることを申し訳ないとは思わず、当たり前だと思うのです。
親からの仕送りが少し送れただけで、親が当然の義務を果たさなかったと怒る学生もいるでしょう。

また、半人前だという意識がありません。
汗水たらして働いている、サラリーマンや主婦を見たときに、なんてくだらない意味のない生き方だ、自分の今の生き方の方がずっとすばらしいと思ってしまいます。

だから、早く一人前になって社会にでようとは思わず、いつまでも親の世話になりたい、できるならずっと学生でいたいと考える青年もいるのです。

昔の青年と比べて、今の青年の方が何もかも悪いなどとは、決して思わないのですが、
せっかく与えられた貴重なモラトリアム時代を生かせない人たちは少なくないかもしれません。

---------------------
どう?どう?

難しかッタカナ?

でも

なるほどー
って

思いませんか?

自分の気づいてない観点
から
物事を見ると
スコシ
自分の見方が
広くなる

すると

スコシ
ココロに
ゆとりができる
んじゃないかな?



・・・

あ、

薬が
効いてキタカモ

7連チャン
なる前に
寝よ

ミナサンも
シャオシン!!
(気をつけて)
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by kouhouji | 2006-10-12 12:03