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明日から

2月デスネ

モウ
ヒトツキ過ぎました

ハヤイネ~

来月は
イヨイヨ

今年
モットモ
大変な
お仕事へ
取り掛かります

ウン・・・

どうなることやら・・・

マ、
ハッキリしたら
UPシマスネ~

ハイ

今日は
1月度の報告と
2月度の行事連絡を
作って
檀家のカタガタに
お配りする
封書を
サッキ
作り終えました

2月は
マタモヤ京都へ
行きます

2回

ボチボチ
行事も
詰まっているノデ

テンパラナイ程度に
ヤッテイキマショウ~

ハイ

んで

いいオハナシを
フラッシュで
見つけたので
転載します

------------------

子供の頃

家は
流行らない商店で
貧乏だった 

母が
パートに出て
何とか
生活できている
ような
程度の生活だ 

学校の
集金のたびに

母親が
ため息を
ついていたのを
よく
覚えている 

別段 
小学校 
中学校

何とも
思わなかったけれど 

高校に
入り

進学を
考えた頃
から

両親と
けんかすることが
多くなった 

私は
大学に
進みたかった 

美術大

に行って
本格的に
絵を
描きたかった
からだ 

しかし
進学
するのに
必要な
お金など

どう
考えても
捻出
できなかった
 
毎日
昼の
パート
夕方からの
パートと

毎日
掛け持ちで
働き 

くたくたに
なっている
母親に

「何で
進学
できないんだよ!
子供の
進学資金も
出せないようじゃ
親失格だぜ」

と言った事
がある 

母親は
涙ぐみ
何も
言わなかった
 
その姿に

ハッ


我に返ったが
ぶつけようのない
悔しさが
邪魔して
そのまま
謝りも
しなかった 

しばらく
後になって
あの時
なぜ
謝らなかったのだろう

猛烈に
悔やむことになった

・・・


母親は
事故で亡くなり
 
直接
謝ることは
出来なくなって
しまったのだ

パート帰りの
運転中の
事故だった 

交差点に
突っ込んでの
事故で

ブレーキ跡
もない 

過労だと思う

葬式の後 
母の部屋を
整理していて 

日記とも
家計簿とも
取れるような
ノートをみつけた

食費や光熱費 

私は家計を
やりくりしたことなど
当然ないが
そんな
私が見ても
ギリギリの
生活だった

母親が
自分のために
使ったものなど
何一つなかった 

なのに

私のための 

進学のための

貯金があった

ギリギリの
生活の中で 
本当に
数百円の
単位で

毎月貯金して
あった

私が怒鳴った
あたりから

パートの時間が
増えていた

後でわかった事だが 
パートの勤務時間を
組み込んで
増やしていたようだ 


増えた分は全て貯金


私は馬鹿だった 
自分のことだけだった 

母の
笑った顔を
最後に見たのは
いつだったろう

私は
何一つ
親孝行など
していない 

母が
いなくなってから
後悔の連続だった

苦労ばかり
掛けて
自分のことばかり
考えていた 

何の親孝行も
していない

なぜ
あんな事を
言ったのか 

謝らなかったのか 


謝りたい 


心から
母に謝りたかった


そんな時 
ものすごく
リアルな夢を見た 

夢の中で
母親は
居間で
座っていた

母を
見つけた
私は泣きながら
母親にわびた 

何も
してやれないで
ひどいことを
言ってごめん 

本当に
子供のように
泣いた

母親は
私の手を握って

「謝らなくちゃ
いけないのは
お母さんだから

・・・ごめんね」

と言った

それを
聞いて
私は
ますます

声を上げて泣いた 


起きたときは
枕まで
涙で濡れていた

そして
手には

はっきりと
母の手の
感覚が
残っていたのを
憶えている

それだけなら
リアルな夢で
終わっていたのだが

その夢を見た
朝父が

「今朝母さんの夢を見た」

と言うのだ 

私のことをよろしく

と言ったらしい

父が
直接会いに
行って話したらいい

と母に言うと 

もう会ってきたから

と言ったそうだ

後悔の念が
見せた夢で
偶然のことかもしれない

でも
夢であれ
母に謝ることが
できて良かった

結局
私は大学には
行けなかった 

今は
普通の会社員だ 



暇を見つけては
絵を描いて

描きあがった絵は
仏壇の前に
飾っている

絵を
好きになったのは
美術大に
行きたかったのは

 子供の頃 

「上手に描けたね」


言ってくれた
母の一言が
きっかけだった

今も
母のことを思うと 

自責の念で心が痛むけれど
 
その母のためにも
頑張って
生きて生きたい
と思う


------------

父母恩重経
究竟憐愍(れんみん)の恩

たとえ
自分のみが
この世から
なくなっても

向こうの
世界から
ずっとずっと
私を
見守ってくれる


・・・

両親も
そのマタ
両親も
ずっとずっと
見守ってくれている

そう
心に
留めておきたい

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by kouhouji | 2007-01-31 20:06

精進ソノ3

オワリマシタ

ヨウヤク・・・

役員会・・・

今から
ご供養ですが

忘れないうちに
書いとかネヴァ

今日の
精進料理
c0094044_22233039.jpg


小松菜のホワイトソース和え
c0094044_22234869.jpg

小松菜を
ベシャメルソースで和えたもの
上に飾りでそのソースを載せました
・・・
最初作ったときは
白和えと変わらない
感じだったけど
ソースのたまねぎを
増やしたら
チョット洋食っぽくて
いいカンジデシタ

デモ
殆ど気付いてなかったナァ・・・

餅巾着とロール白菜
c0094044_222493.jpg

油揚げに
餅と椎茸と枝豆と人参を
入れて煮込んだもの

蒸した白菜の葉に
ピリコンに衣付けて
揚げたものを
巻き込んで
煮込んだもの
・・・餅巾は王道デスネ
ボリュームあってオイシイ
ロール白菜は
中に巻いた具は
肉そのもの
デシタ

ねぎのピンチョスと長芋の味噌焼きと
カリフラワーの唐揚げ
c0094044_22242854.jpg

下仁田ネギを春巻きの皮で
包んで醤油をたらして
揚げ焼きにしたもの

長芋を素揚げして
ミリンで溶いた味噌をのせて
グリルでやいたもの

カリフラワーに醤油とミリンを入れた
小麦粉を衣にして
揚げたもの
・・・ピンチョスは下仁田ネギを
たてに4等分シマシタ
丸のままだとでかすぎて
でもサスガ下仁田ネギ
長芋も定番デスネ
カリフラワーは
おすぎさんに教えてもらったのを
そのまま作ってみました
唐揚げ?って
みんな不思議がってた

焼き豆腐とねぎのお味噌汁
c0094044_22245146.jpg

焼いて焦げ目を付けた
お豆腐と
下仁田ネギの
お味噌汁
・・・下仁田ネギの
小口切りにしたものを
入れたのですが
このきゅうりおいしいね・・・って
言いながら食べてました

赤コンニャクと竹の子の酢の物と味噌漬豆腐
c0094044_2225759.jpg

乾燥竹の子を水で戻して
赤コンニャクとごま油、醤油、酢で
和えたもの

豆腐を2日味噌に漬け込んで
薄く切ったものを
小口きりに切ったねぎと一緒に
ライスペーパーで巻いたもの
・・・味噌豆腐!
もうチーズですよコレ
ビックリ
みんなも
チーズだとオモッテタみたい
大豆恐るべし

おろしなめこ
c0094044_2225311.jpg

揚げたむかご(ヤマイモの実)と
なめこ
を大根おろしと
薄口で和えたもの
・・・むかごって
ケッコウそのままでもオイシイデス
でも
おろしをそえると
なおオイシイ
上に載ってるのは
塩豆腐の削り節

2色胡麻豆腐
c0094044_22261866.jpg

胡麻豆腐に2色
色をつけて
練りこみました
上の方には
くちなしで黄色く
下のほうは
青寄せ
(ほうれん草を潰して裏ごししたペースト)
で緑色に
・・・結論から言うと
色のつき具合はビミョウでした
ま、味はgoodね
上に乗せているのはわさび
つけダレには松の実が
こっそり入ってます

銀杏ご飯
c0094044_22263349.jpg

ウチで取れた
銀杏を
一緒に炊き込んだ
ご飯
・・・これオイシイです
癖になるアジ
オカゲでおひつが
空にナリマシタ

う・・・
ネムタイ・・・
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by kouhouji | 2007-01-29 22:26

in 佐世保

より
帰ってまいりマシタ

お寺の
大般若
デシタが

そのお寺
庫裏(住居ブブン)

新築
されてたノデスガ

なんと
鉄筋4階建ての新築!

エレベーター付!

ほぉぉ・・・

東京とか大阪とか福岡
では
お見かけしますが

佐世保デハ・・・
つうか

親戚ヤシ

ウーン・・・
イヤハヤ
スゴカッタ・・・

ハイ
昨日から
オトマリで
行っていましたが

そこの
お寺の
総代サンは

歴代
そのお寺の総代
をされている
由緒ある
一族の方で

ナンデモ
佐世保の繁華街
の敷地権利を
総括されている
という
大地主サン

しかも
その方の名前が
町のナマエになっている
という

まぁ

ナンツウノ・・・

ハンパネェお金持ちサン
なわけですよ

ハイ
・・・

ナンカ
コーユーコト
書くから
俗っぽい
って
言われるんだろうナァ・・・

マ、イイケド

んで

ま、その
大地主の
総代さんは

チョー
ワイン好きな方で

ある年の大般若のときに
「高峰寺さんはワインお好きですか?」

と聞かれて
「あーソウデスネ・・・飲むときは赤がいいですね~」

って
答えたンデスワ

ハイ
まー

ワイン
実は
ケッコウ好きデシテ

甘いのは苦手デスケド
最初に飲んだ
チリ産の赤ワインに
はまって・・・

あ、サラリーマンだったときね

んで
最高
ツウカ
最悪
なときは

1日10本フルボトル空けて
翌日
微動だに出来なかった
トイウ
想い出もあるのですが・・・

マーネ
ウン

そう
そんなで

ワインは
好きなのですが
普段は
封印していまして

デモ
そのときに
ソンナフウニ答えたら

「そうですかぁ!
デワ今からちょっとお付き合い
頂けませんか?」

と・・・

え?ハイ・・・御願いします

ミタイナカンジで
ご一緒させていただいたのが
ハジマリですね

ウン

ナンカ
その方
モノスゴイ紳士で
背筋も普段から
シャッキーーーン
ってされてて
話し言葉も
内容も
セレブ
だし

そんな
酒飲み行こうナンテ
仰らないヨウナ方だと思っていたので

ちょっと驚いたけど
そうやって誘っていただいたのが
嬉しくて

それから
毎年
大般若のときは
ご一緒させていただく
ワケデスヨ

ハイ

んで

去年は
ご都合により
ご一緒できなかったので

ことしは
・・・
「行きますか?」
・・・
「行かれますか?」
・・・

って
ことで
夜の四ヶ町へ・・・
(佐世保の飲み屋街デスネ)

んで
連れてってもらったのが

最近出来たらしい
ワインバー

綺麗なオネエサンが
一人で
やってらっしゃる
お店でした

ナンデモ
スッチーをされてたソウデ
ソムリエ
の資格を取って
実家のある佐世保に
お店を出したそうです

ナルホド
ハイセンス・・・

ソシテ
そんなお店を御存知な
総代さんも
ハイセンス・・・

結局3時間くらい
そこにいて
ずっと
総代さんから
色んなオハナシを
聞かせてもらいました

中でも
驚いたのが
あの
故 高田光胤和尚
(奈良薬師寺の管長で
 当時日本で5本の指に入る
 名布教師)
とお知り合いで
ご自宅に
来訪されたことがある
らしく

・・・スゴイ


なんか
違う世界が
あるんだなぁ


ヒシヒシ
感じましたネ

うん

マ、デモ
そんなカタと
毎年
ワイン飲んでる

オレも
ケッコウスゴイ?

え?
無神経・・・?

ウーン
否定デキナイ
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by kouhouji | 2007-01-26 20:36

今日の法話

今日は
法話会
デシタ

あたりまえ
ナコトに
気付く

ってことについて
1時間ほど
話しました


あたりまえ

「あ、そうかぁ~」

感動
スルコトこそ
仏法だよ


水にしろ
空気にしろ
目が見える
耳が聞こえる

普段は
あたりまえ
って
思ってさえシナイ

無意識
デスヨネ

でも
当たり前のこと
って
ホントは
当たり前じゃないんだ
って

意識し始めたとき

それが
とっても
有難く感じる

もし目が見えなかったら
もし耳が聞こえなかったら

んで
このオハナシを
紹介させてもらいました

これは
フラッシュの転載です

御覧になった方も
あるカモシレマセンが

自分も
これを
そのまま読みながら

・・・つうか
法話会の前に
3回くらい
読んだけど

法話会でも
泣きそうになりました

はい

ちょっと長いですが
宜しければ
ドゾ
----------------
僕には母親がいない

俺を生んで直ぐ
事故で死んでしまったらしい

生まれたときから
耳が聞こえなかったボクは
物心ついたときには
もうすでに
簡単な手話を使っていた

耳が聞こえないことで
オレは随分苦労した

普通の学校には行けず
障害者用の学校で
学童期を過ごしたわけだが
片親だったこともあってか
近所の子供にバカにされた

耳が聞こえないから
何を言われたか覚えていない
・・・と言うか知らないが

あの見下すような
馬鹿にした顔は
今も
忘れられない


その時は
自分がなぜこんな目に遭うのか
判らなかったが
やがて障害者であるということが
その理由だとわかると
俺はふさぎこみ
思春期の多くを
家の中で過ごした

自分に
何の非もなく
不幸な目に遭うのが
悔しくて仕方なかった

だから俺は父親を憎んだ
そして死んだ母親すら憎んだ

なぜこんな体に生んだのか?
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか?

手話では
到底表現しきれない思いを
暴力に変えて叫んだ。

時折爆発する俺の気持ちを前に
父親は抵抗せず

ただただ
涙を流し

「すまない」

と手話で言い続けていた

そのときの俺は
何もやる気が起きず
すさんだ生活をしていたと思う

そんな生活の中で
唯一の理解者が
俺の主治医だった

俺が生まれた後
耳が聞こえないと判った時から
ずっと見ていてくれた先生

俺にとってはもう一人の父親だった。

何度も悩み相談に乗ってくれた

俺が父親を傷つけてしまった時も
優しい目で何も言わず聞いてくれてた

仕方がないとも
そういうときがあるとも
そんなことをしては駄目だともいわず
とがめる事もなく
慰めることもせず
聞いてくれる

そんな先生が大好きだった

そんなある日
どうしようもなく
傷つくことがあって
泣いても泣ききれない
悔しくてどうしようもない
そんな出来事があった

内容は書けないが
俺はまた先生のところへ行って
相談した

長い愚痴のような
相談の途中
多分

「死にたい」

ということを
手話で表したときだと思う

先生は
急に怒り出し
俺の頬を
思い切り殴った

俺はびっくりしたが
先生のほうを向くと
さらに驚いた

先生は泣いていた

そして俺を殴った
その震える手で
静かに
話し始めた

ある日

俺の父親が
赤ん坊の俺を抱えて
先生のところへやってきたこと
検査結果は最悪で
俺の耳が一生聞こえないだろうと
父親に伝えたこと
俺の父親がすごい剣幕で
「どうにかならないか」と詰め寄ってきたこと

そして
次の言葉は俺に衝撃を与えた

「君は不思議に思わなかったのかい?
君が物心ついたときには
もう手話を使えていたことを」

確かにそうだった

俺は特別に手話を習った覚えはない

じゃあ、なぜ?
・・・

「君の父親は僕にこういったんだ

 『声と同じように僕が手話を使えれば
  この子は普通の生活を送れますか』

驚いたよ

確かにそうすればその子は
声と同じように
手話を使えるようになるだろう

小さい頃からの
聴覚障害は
それだけで
知能発達の障害になり得る

だがもし
声と同じように
手話が使えるのなら
もしかしたら・・・

でも
それは決して
簡単なことじゃない

その為には
今から両親が手話を
普通に使えるように
ならなければいけない

健常者が手話を
普通の会話並みに
使えるようになるのに
数年かかる

全てを投げ捨てて
手話の勉強に専念したとしても
とても間に合わない

不可能だ

僕はそう伝えた

その無謀な挑戦の結果は
君が一番よく
知っているはずだ

君の父親は
何よりも君の幸せを願っているんだよ

だから死にたいなんて言っちゃ駄目だ」

・・・
聞きながら
涙が止まらなかった

父さんは
そのときしていた
仕事を捨てて
俺のために
手話を勉強したのだ

俺はそんなことも知らずに
たいした収入のない父親を
ばかにしたこともある

俺が間違っていた

父さんは
誰よりも俺の苦しみを知っていた
誰よりも俺の悲しみを知っていた
そして
誰よりも俺の幸せを願っていた

濡れる頬をぬぐうこともせず
俺は泣き続けた

そして父さんに暴力を振るった
自分自身を憎んだ

なんて馬鹿なことをしたのだろう
あの人は俺の親なのだ

耳が聞こえないことに負けたくない
父さんが負けなかったように

幸せになろう

そう心に決めた

・・・

今俺は手話を教える仕事をしている

そして春には結婚も決まった
俺の障害を理解してくれたうえで
愛してくれる最高の人だ

父さんに紹介すると
「母さんに報告しなきゃな」
といって父さんは笑った

でも
遺影に向かい
線香を上げる
父さんの
肩は震えていた

そして
遺影を見たまま
話し始めた


俺の障害は
先天的なものではなく
事故によるものだったらしい

俺を連れて歩いていた両親に
居眠り運転の車が突っ込んできたそうだ

運よく
父さんは軽症だったが
母さんと俺は酷い状態だった

俺はなんとか一命を取り留めたが
母さんは回復せず死んでしまったらしい

母さんは
死ぬ間際
父さんに遺言を残した

「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」

父さんは
強くうなづいて
約束した

でも
しばらくして
俺に異常が見つかった
・・・

「あせったよ
 お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって

 約束を守れないんじゃないかってなぁ

 でもコレで約束・・・

 果たせたかなぁ・・・
 
 なぁ母さん」

最後は

手話ではなく
上を向きながら
つぶやくように語っていた

でも
俺には
なんて言っているか
伝わってきた

俺は
泣きながら
父さんに向かって
手話ではなく
声で言った



「ありがとうございました」



僕は
耳が聞こえないから
ちゃんと言えたか
判らない

でも
父さんは
肩を大きく揺らしながら
何度もうなづいていた


父さん

天国の母さん

そして先生


ありがとう

俺、今しあわせだよ


-------------------

あー
ナンカまた
泣けてきた

・・・
耳は聞こえない
状況は変わっていない
何も変わってない

ケド
この人は
ホントに
幸せになったんだよね
気付くことで

皆さんも
気付きを
探してみては
イカガですか
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by kouhouji | 2007-01-24 19:44

本番ッス

マー

正確ニハ
実験台
・・・
えー
檀家のカタガタには
直接
言っちゃいました
ケド
・・・

精進料理
作りましたヨ
c0094044_2043683.jpg


マー

ドタバタで

ヒャーヒャー
イイながら

モウタイヘン・・・

いい経験ナリマシタよ
ハイ

んで

白ご飯と
けんちん汁
を除いて

6品

1つ目
ピリコン
c0094044_2045399.jpg

これは
前に
書いたので省略

ピリコンに
大根おろし乗せて
水菜を添えた
ンデス

2つ目
豆乳胡麻豆腐
c0094044_205732.jpg

これは
葛粉を
豆乳で30分練って
ネリゴマ入れて10分練って
冷やして固めて
豆乳と濃口を
合わせた地に
盛って上に
おろししょうがを
乗せました

3つ目
酢の物
c0094044_2052436.jpg

一つは枝豆の漬物
も一つは赤こんにゃくと大根の酢の物
枝豆はショウガ千切りと浅漬けしたもの
です

4つ目
春菊とオカラの和え物
c0094044_2053778.jpg

オカラは粉状になるまで
フライパンで炒って
くちなしで黄色く色をつけた
ものです
チョット菜の花チック?

5つ目
揚げ物焼き物
c0094044_2055469.jpg

生麩のしそ唐揚げと
下仁田ネギの丸焼き&
油揚げとの炒め物と
椎茸の素焼き
椎茸はごま油としょうゆをかけて
グリルで焼きました

6つ目
蓮根饅頭
c0094044_2061242.jpg

すりおろし蓮根に
椎茸と白黒ごまとショウガで
炒り煮にしたものを包んで
蒸して
梅肉を入れた餡をかけて
ほうれん草を添えたもの

以上

まー

普段
精進料理
食べない人たち
ナノデ
興味津々

作り方とか食材とか・・・

ご年配の方々でしたが
皆さん
ホボ完食

イヤー

ありがたいネ

しかも
近いうち
料理教室
やることになって

ホンマニ
チッチャイ
食堂に
ナルカモシレンナァ・・・
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by kouhouji | 2007-01-23 20:06

怒濤の

一週間が始まります・・・

ツウカ
初日終了ッス

来週の月曜日
総代会マデ
予定
キッチリ
・・・

イーネー

仕事に恵まれている
トイウコトワ!

ハイ

あ、
今日は
ウチの
檀家にナリタイ

トイウカタが
いらっしゃって

予期せず
檀家さんが
一件増えることになりました

ウン

理由を聞くと
旦那さんが
ガン

そろそろ心の準備を
しなきゃイケナイ


・・・
そういうことで

ソノ方の
お兄さんが
ウチの檀家さんだったので

ソノ縁で
来られたそうです

ハイ

マーネ・・・
檀家さんが増えるのは
有難いことです

ソノ奥さんの
心情を思うと
・・・
ナンツウノ・・・
心が締め付けられるような
苦しさですよ

ウン


ソノ
最悪の事態に
なるまでに
少しでも
心安らげる
キッカケを
与えることが出来れば

オモイマス

ウン



ハイ

あ、
ソイエバ
明日は
本格仕込み
by 精進
デスヨコレ

ウン

明日仕込むのは・・・

ピリコン、豆乳、胡麻豆腐
枝豆漬物・・・

はい

えー
出来た料理は
順次
upする予定ッス

ウィ

あーデモ

美味すぎたら
ドウシヨカナァ・・・

出店やな!
料理店を!

ハイ
ジョウダンです・・・

ハイ
菜根譚デス

君子の心事は天青く日白く、人を知らざらしむべからず
君子の才華は玉包まれ珠隠れ
人をして知り易すからしむべからず

王様になる人の心の持ちようは
一点の曇りもなく包み隠すということもない
逆にそのほかの人で才知芸能は
珠玉を大切にするが深く片付けすぎて
カンタンに人に知られない
底知れぬ深さになると仇波が
立たないほどに静穏である

・・・


アッチャァ・・・
波立ちすぎ・・・
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by kouhouji | 2007-01-21 23:10

ヨォヤク

サイコンタン

行きまひょ

ハイ
えー

復活です

サキホド
片付け
終了しまして



精進料理の
仕込み

打ち合わせ
ナドナド

アリマスガ



明日にしよ

ってコトで
今日は
余裕・・・

ウーン

マ、ソウデモナイケド

法話会
あるの
忘れてたし

まだ
原稿ゼロ
だし・・・


ソレハソレトシテ

京都でも
研修
無事終わりました

ミナサマのご意見
等々
参考に・・・

する暇もなく
本番
だったのですが

えー

あのまま
発表はシテオリマセン

ハイ

内容は
1/3くらいかな

んで
頭の中で
ストーリーを
都合よく
整えるので

時間的には
15分くらいに
なるのですが

まー
結果的には

ボチボチ
って
感じですか

ウン

また来月もあるし
in京都

んで
再来月は
鹿島(佐賀の)

1時間の
6本!

ア、アリエヘン・・・

モウ


あのお・・
お説教
よかろ?

と聞かれ

あーイイッスヨ


カンタンに
引き受けた
ジブンを
恨みつつ

ジブンに
アマイ
ワタクシには

いい修行
ダト

寝言のように
言い聞かせ・・・

ハイ

んで
・・・

なんやったっけ?

ソウ

昨日からは
ナンカ

会議やら
托鉢やら
大般若やら
供養やら
法事やら
精進料理やら
法話会やら

・・・
コレモマタ
ジブンで

あー
イインジャナイ
ソレデ

ミタイニ
予定組んでる
カラ

心のゆとり

失いかける
トコでした

ハイ

ま、
そういった意味では

コンナ風に
パソコンに向かって
日記を書く
つうのは

自分自身
見つめる
って考えたときに

イイコトだナァ・・・と

シミジミ
オモイマスね

ウン

だって
余裕無いと
書けないわけだから

書けるってーのは

・・・
一概には言えませんが
・・・

アルイミ
自分自身の
一日が
コントロールできてる
ってコトだしね

ウン


イイホウに
考えよう

ハイ

ってことで

サッソク

初の
菜根譚

菜根譚ってーのは
前集と後集があって

マズは
前集より

ソノ2

世を渡ること浅ければ
点染もまた浅し
事を経る事深ければ
機械もまた深し
故に君子はその練達ならんよりは
朴魯なるにしかず
その曲謹ならんよりは
疎狂なるにしかず

この世の波風にもまれたことの
浅いものは悪習に染まることも浅いので
その人柄は天真爛漫で邪気がない
逆に色々遭遇してきたものは
機械(からくり)が多い
つまり万事才能が効いていて切れ味が良い
しかしなかなか油断もスキもあったものではない

だから
君子は
万事万端熟練に通達して上手に切り回すより
質朴で邪気なくバカ正直である方がよいのである

ハイ

解説は
釈宗演老師
という
臨済宗の管長を務められたカタです



人の上に立つ人は
思い巡らし
あれこれ
気の利いている
より

常軌を逸して
バカ正直だけど
邪気のない純朴な
ホウがイイ
ッテコトデスネ

ウーン

ワタシの
友達にも

天然

と呼ばれる
カタガタ
いらっしゃいますが

本人サンは
「そんなことない」
と言い張りますが
そんなことある
カタガタです

デモ
ワタシは
ソンナカタガタ
うらやましい
デス

なんか
今回の菜根譚
ミタイに

この人のいうことなら
信じてついていける

と思わせるのは
天然
ツウカ
純朴ナカタ
ダナァ・・・と

デスカラ
私の中では
天然は

褒め言葉
ナンスヨねぇ・・・

ウン

・・・
スグ
思考に
頼ってしまう
ワタクシには

君子ムリかと
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by kouhouji | 2007-01-20 20:04

タダイマどす3

イヤー

オワリマシタ
事務局会・・・

昨日
帰ってきて
ねて
おきて

資料作って
出かけて

会議で

ヤーヤー
言って

サキホド
終了~

ソンデ
帰宅~

ンデ



もう
明日は
マタモヤ
ご祈祷ナンス

大般若どす

あの
パラパラお経本やるヤツね

ハイ

ソノ準備ッス
今から

ハイ

あ、
明日は
托鉢も
シナキャだ

wao~

ンデモッテ
明後日は
年忌供養と
四十九日と
納骨と・・・

ンデンデ
精進料理の
食材の仕込み

精進料理
出した次の日は
佐世保のお寺で
斎會(和尚さんの供養)

大般若

アレ

なんか
予定が
タクサンやナァ・・・

ウーン

コメントも書かずに
スミバセン

モ少し
落ち着いたら
書きますデ

モウシワケナイ・・・

でわ
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by kouhouji | 2007-01-19 19:47

タダイマどす2

あー

ウー

てげなぁ
ちかれた

やっせん

もう

びんたん
まっきっちょっでねぇ

・・・

ってことで
寝ます

トリアエズ

オヤシミ・・・
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by kouhouji | 2007-01-18 18:15

あ、サイコンタン

じゃない!

スイマセン

明日から
マタ
in 京都
デス

んでもって
お通夜のお話を
考えてゆかねばならず
・・・
試行錯誤の結果

岡本太郎(仮名)
市水道課職員(仮想)

が亡くなった事にシテ
お説法を
考えていたので

マ、今から
再考もセネバナラズ
デスガ

ソノ文章を
貼り付けさせていただきます

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本日は岡本太郎さんのお通夜にご参列頂きありがとうございます

享年は78歳でございました

太郎さんは市の職員として長年勤めておられました
その中でもっとも長く勤められたのが水道関係を取り扱う水道課でした

現在日本の水道普及率は97%と今やどの家庭にも水道が通っている状況です
しかし昭和30年に全国簡易水道協議会が発足し、全国へ水道を普及させようと言う取り組みが始まった頃は30%未満の普及率だったそうです

ですからその当時は、井戸から水を汲み上げたり、大甕に水を溜めておいてそこへ汲みに行かねばならなかったりしたわけです。

一説によると人が一日に使う水の量は60ℓと言われています。
バケツ1杯が約15リットルですから1日4回、5人家族だと20回
一年間だと6000回もの水汲み往復をしなくてはならないのです。

その重労働が今では蛇口をひねればいつでも水が出てきます。

我々が安心して水道を使えるのはその水道を管理してくれている水道課を始めとした方々のお陰です。

雨が降ろうが雪が降ろうが点検や修繕のために道路に穴を掘り、心無いドライバーから罵られたりしながらも、地面にもぐり黙々と作業をこなす・・・

私達に代わって泥にまみれ水にまみれ水を供給して頂いているわけです

かといって誰から褒められるわけでもありません
逆に水道が使えないと凄まじい苦情を受けるわけです

しかしたとえ怒られようと怒鳴られようと、ただただ頭を下げて、その問題点を解決していきます。

これは仏教で言えば菩薩行です

自らお選びになった道ではありますが、見返りを求めることなく、他人のためにその行を積んでいる・・・
このような太郎さんの生き方・・・残された私たちは学ぶべきところが多いのではないでしょうか

ある水道会社の方がこのようなことを書かれていました

フランスでは「水は黄金」 スイスでは「水は命」 水は土や空気とともに、人々の生命と生活の基盤であり、健康で文化的な暮らしを支えるライフラインであり欠かすことの出来ない資源であります。
人が生活していくためには、水は不可欠である、その大切な「水」を扱う仕事に付いたということは、公衆に対して多大の責任と義務を果たさなければならない、命を預かる仕事だと思っております。

私たち人間を初め、この世の全ての生き物は水がないと生きて行けません

皆さんはお仏壇にお水やお茶をお供えになると思います。

これは何のためだか御存知でしょうか

確かに仏様やご先祖様にお水やお茶を頂いてもらうためですが
このお水は、私たちが今日もお水のある生活をさせて頂いています。
そして、私たちを始め、身の回りの全ての生き物にうるおいがあり、今日一日を無事に健康に過ごすことができます。有難う御座います、という意味の仏道修行な訳です。

明治時代に岡山県で宣牧(ギボク)という小僧さんが儀山和尚という方の元で修行を為さっていました。

あるときその小僧さんが手桶に水を汲んで師匠のところのたらいに水を張って戻ろうとしました。

空になった手桶を何気なく振り回して帰っていると、手桶から水が滴り落ちました。

それを見た和尚さんは「おい、ギボク。今そこへ水を一滴捨てたぞ」と静かに言いました。
ギボクはしかたなく「はい」と言いました

すると「はいではない。返事をしたからにはその水を拾え」と仰ったのです。
現代の科学技術をもってしても、その落ちた水をそのまま回収することは不可能でしょう。
かといって和尚さんが、小僧さんに意地悪をするために言ったのでもありません。

それではどういうことか?

一滴の水でももったいないから無駄にするなということもあると思います。

臨済宗では参禅と言って、師匠が弟子に、日常生活の中で、いつの世も代わることのない真理に関する問題を出します。
つまり、その落ちた水の真理を拾いなさいということです。

この落ちた水は、やがて蒸発して水蒸気となるか土にしみこみ地下水となるでしょう。
そしてその水は川の流れとなり、そのまま私たちの飲料水となったり、海へ注ぎ、海の生き物を育む元になるかもしれません。

そしてまた私たちの体内に取り込まれ自分自身となるかもしれません。

このように考えると、その落とした一滴の水は
土であり、雲であり、川であり、海であり、私自身であるわけです。

つまり、その一滴はこの世の中そのものであり
またこの世の中そのものが自分自身と何ら変わりがない
そのことに気付きなさい、ということだったのです。

私たちは水は水、自分は自分という分別の世界に生きています
自分は自分、親は親、他人は他人と

確かに自分は自分ですし他人は他人です

しかし土も水も自分自身です、他人も自分自身です。
いいことも悪いことも他人への係わり合いも思いやりも巡り巡ってくれば自分の元へ帰ってくる

そのことをもう一度思い直してみてはどうでしょうか

黒田長政の父、黒田孝高(よしたか)は
水五則と言うものを伝えております

1.自ら活動して 他を動かしむるは水なり
2.常に己の進路を求めて止まざるは水なり
3.障害にあい 激しくその勢力を百倍し得るは水なり
4.自ら潔うして他の汚れを洗い 清濁併せ容るるの量あるは水なり
5.洋々として大洋を充たし 発しては蒸気となり雲となり雨となり 雪と変じ霰と化し 凝っては玲瓏たる鏡となり 而もその性を 失わざるは水なり

谷沢永一という方がこのようなことを言われています。
「最上の善は、水のようなものである。
水は、丸い器に入れば丸くなり、四角な器に入れば四角になるといったように、決して万物と争わない。
しかも衆人がいやがる低い位置に身をおく。
だから、水こそ仏道に近い存在といえる。」

「水は方円の器に従う」と言う言葉があります。
形にたがうこともなく、大きさにたがうこともなくその器に従って形を変化させる。

私たちの身の回りに当たり前の様に水は存在しています。
その水から学ぶことも多いのではないでしょうか

そしてその水を私たちの中に当たり前のように存在させてくれた太郎さんの思いからも、私たちは多くのことを忘れないようにしなくてはいけないと思います

今日はお通夜です。
通夜とは、お釈迦様が亡くなられた夜に、弟子の方々が、一晩中、お釈迦様の教えについて語り合ったことから始まったと言われています。

今日の夜は、太郎さんが私たちに残してくれた思いを語り合っていただきたいと思います。

以上でお話を終わらせていただきます。
本日は有難うございました。

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えー
ヨロシケレバ
ご感想など・・・
アレバ幸いカト
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by kouhouji | 2007-01-15 21:50