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シバラク

アイヤ

シバラク

・・・

京都
ナノデ
日記の更新は

オソラク

されまへん

・・・

気分次第かも

チナミニ
かえってくるのは
28日夜
デス

イロイロト
勉強して
マイリマスル

では~
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by kouhouji | 2007-02-24 11:06

オキャクサマ

あー

マダ
原稿が
デキナイノヨッ!

日にちが無いのよ!

モウ



ウン
・・・

こうなりゃ
開き直りで・・・

ん?

ハイ

そりゃぁ
アキマヘンな・・・

がんばりますよ
テーマ
持戒!

決定

ま、
明日には
仕上がることでしょう

ウン

・・・

うーん
楽観的?

ま、
エエヤン

なぁ

ハイ

エー

あ!
ソイエバ

2/26は
誕生日だ!

アノ人の!!

ヒント・・・
「素顔で踊らせて」

ハイ

ワカル人
おるかなぁ・・・

ウーン
マニアック

んーーー

二人はおるな


デモ
2/26とは
知らないかもねぇ

シシシ

えー
セイカイは

・・・
明日!

わかった方は
コメント下さい

ニャー

はい

えー
今日は

昼前に
オキャクサマ

つうか
檀家さん
デスガ

3人の女性
来られまして

来月
お寺で
四十九日法要

おとき
をしたい
トイウことで

簡単な
打ち合わせに
イラッシャイマシタ

ウン

60人だそうで

ん?
あー
ウチはそんなに
料理作れません

って
言ったら
「あ、
料理は
頼んでますから
ご心配なく」

・・・
ハヤトチリ
・・・

ツイ
精進料理
の方向へ
ツイ

ハイ

スペースとしては
十分
あるので

問題なく
打ち合わせ
終了しました

ウン


話は
和尚さん
談義・・・

「もう、ね
ウチの実家の和尚さん
いっちょん(全然)
話しんさらんとよー(話をしてくれないんです)」

「そーねぇ
お経の声は
ちかぁとよかばってん(少しはいいんだけど)
先代の和尚さんは
そがんフシつけていわんばろーかって
(そんなにフシつけて詠まなくちゃいけないのかって)」

「もうここの和尚さんは
よかばっかいねぇ~(いいことだらけねぇ)」

・・・
「あ・・・そりゃどうも(笑顔)
まー
でも


ていうことは
ワタシも
ウラでなんて言われよるか
判らんですね~(さらに笑顔)」

って
言ったら
真剣に首を
振ってくれました

ハハ

そうゆーことに
しときましょうか


まー
デモ

そやって
ざっくばらんに
話をしてくれる
のは
アリガタイ
モンです

ただでさえ
敷居が高い
と言われる
この
業界

ん?

お寺のセカイ

少しでも多くの人に
近づいてきてほしい
モンです

そんな
フレンドリー
な部分と
厳粛
な部分を

忘れることなく
やってけたらなー
と思います

ハイ

あ、
厳粛
っぽくない?

ソーネー
・・・
じゃ
次回から

漢字多めで

明白了
作為全球規模最大的快餐集団
再見!
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by kouhouji | 2007-02-22 20:28

またもや

今週末から
イン
京都
デスゥ~

またもや
布教師の
研修&会合
デスゥ~

あー
たまには
プライベートで
行きてぇ~


言ったら
「贅沢モノ!」
と言われてしまい
マシタ

ハイ
スマセン

・・・セーン

当然カ・・・

今回も
マタモヤ
課題が
アリマシテ

フリーテーマ
なのですが

今回は
「持戒」

しよか
と思って

ウン

つうのは

今日
そう
思ったのです

一般の仏教徒
が守るべき
戒律
ってーのが

5つ

ありますが

その中に
「不飲酒戒」
ってーのが
アルンデス

ウン

えー
実は
・・・
飲酒人身事故を
起こしてしまいました

ハイ

エー

チナミニ
私では
ありません

私の
トモダチ
です

もう
・・・
ね・・・
何をやっているんだ
この
アンポンタンがぁぁぁぁぁ!!!!!!


言いたいのデスガ

ウン
・・・
モウ
・・・
バカだねぇ・・・

ホント

被害に遭われた方は
怪我を
されていますが
幸い
命に別状は
ないそうです

ウン
でもね

イタイよ
ココロが・・・

明るくて
オモシロイヤツで
ワルサとかヤンチャとか
出来ない
普通のオトコ
だったんだけど

ナニやってんだか・・・

家で飲んでて
自宅から
5分もしないところで
事故起こしたらしい・・・

その現場を
見た人によると
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
って
何度も何度も
頭を地面に打ちつけながら
泣きながら
謝っていた
ラシイ

ま、ソイツらしいトイエバ
ラシイけど・・・

ソコの
ご家族の方も
縁あって
知っているのですが・・・

ホント
身の切られる
思いデスヨ

ご両親のキモチを
思うとネ

・・・
報道では
最近では
特に
飲酒事故を
起こした人間を
殺人者のように
取り上げてますが

ワタシも
その報道があるたびに
怒りを
覚えたものです

ナゼ
ナクナラナイのだろうと
・・・
犬猫じゃないんだから・・・
覚えろ・・・と

ツウカ
ウチの犬でも
悪いことは
繰り返さないゾ・・・と

ウン・・・
・・・
デモ

それが
実際
自分のよく知る
人が
加害者に
なってしまった

本人は
事故するまで
罪の意識すら
なかっただろう・・・

でも
実際
酒飲んで
事故して
怪我させて
驚いたところで

・・・
おそい

まさか
自分が

思っただろう

まさか
事故なんて

思っただろう

ワタシも
まさか
加害者の
ことを
心配するとは
思わなかった

ホント
ゴメンナサイ

でも
シンパイです

罪を犯す
ってことは
戒律
つまり
法律を
守ってない
ってこと

しかも
意図的に

このことは
しっかり
罪を
償わなくちゃいけない

けど

その
罪によって
罪を犯してない人
までも
同様に
・・・
それ以上に
苦しんで
悲しまなければ
ならない

特に
自分が
大切に思っている人に
より深く
その苦しみが降りかかる
と言うこと

ホント
痛切に
感じました

ミンナ
一人で
生きてる
ワケじゃないんだと

思って
感じて
ほしいモノデス
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by kouhouji | 2007-02-21 19:20

アムラー

いたねぇ
ソイエバ
・・・

サッキ流行語大賞
特集やってたから

あーねー

ウーン

96年ですって

もう
10年も前か・・・

まだ
その頃は
サラリーマンで

鹿児島に
居たんデス

入社3年目で
仕事もなれて
友達も増えて
遊びに行くところも
ナンデモカンデモ
アゲアゲな
時期
でしたなぁ・・・

鹿児島ってネ
イイトコロ
ですよ

ウン

ワタシガ
居たのは
川内

センダイって読みます


武雄から川内に
JRでキップ
買おうとしたとき

「川内まで御願します」
って言ったら
「え?仙台ですか」
「はい・・・川内です」
「えー往復で6万円ですね」
って
言われたこと
アリマス

片道1万円もかからないのに

まー
コミュニケーション
ってのは
大事だな

切に感じましたネ

ウン

はい


川内

今は
薩摩川内市
デスネ

小西真奈美
とか
山田孝之
とか
の出身
ナンデスヨネ

真ん中に
大きな川が流れていて
川内川
って
・・・
ソノママヤン
・・・

そこで
当時
九州最大規模の
花火大会とか
やってたよ

今もやってます
ケド
当時で
15000発
くらい
やってたんじゃないかな・・・

もう
やっぱ
スゴイ迫力でね

同時に
300発とか
あがると

圧巻!

みんな
ウワーーーッ
って
どよめくンダヨネ~

ハイ

イイデスヨ
川内

山も海も近いから
リフレッシュ
するには
最高の環境ですね

海も
外海
だから
青くてキレイ
だし

川沿いに
山へ進むと

蛍がたくさん
居るところがあって

もうね
幅100mくらいの川なんだけど

その対岸の
木々に

びっしり!

蛍が
止まってたり
飛んでたり

ナンカ
バスツアーで
来てる団体とか
たまに居たけど

ホント
幻想的
・・・

ハイ

日本って
色んなトコがあるんだなァ
って
しみじみ
思ってました

ハイ


この前の続き

------------
近代成熟期と言われる現代、努力=結果と言う構図が失われ、誰しも孤独で不安な中にいる。現代のいじめを心理学的に考察するといじめの加害者は「ああはなりたくない」という心境から、また被害者は「あのグループに残りたい」という心境から個人対全体といういじめの構図を誘発するという。
------------

高度成長期
というの
アリマシタネ

努力=結果ダト・・・

デモ
今でも

努力=結果

ナンダヨネ

その
結果の認識の違い
ジャナイカナ

無駄な努力なんか無い

トオモイマスケドね

「ああはなりたくない」
じゃなくて
「ああを許してはいけない」
って
考えてくれる
義侠心のある
人が少なくなった

会合ではミナサン仰ってました

義侠心・・・

正義の味方・・・

デモ
今も昔も
子供たちは
ヒーロー大好き
デスヨネ

怪獣役ナンカ
イツモ
問答無用で

「和尚さん!」
って
言われるくらいだし・・・

ホントは
みんな
ヒーローに
なりたい
ヒーローで
いたい

と思うンダケド・・・

小学校入ったら
変わっちゃうのカナ?

だれか
教えて下サイ
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by kouhouji | 2007-02-19 20:16

こんにゃくラーメン

って
食べたことある?

この前
通販で
見かけて
1つ99円
とか

ダッタノデ
つい
購入して
シマイマシタ
・・・

とんこつ

ん?
ラーメンじゃん

あー
チョット
切れにくい
麺が

デモ
普通の
糸こんにゃく
ヨリ
ゼンゼン
麺っぽい

カロリーも
少ないし
(40~80キロカロリー)

小腹が
スイタ
ときには
オススメですよ

調理も
インスタントより
簡単やし

お湯掛けて
水切って
スープにお湯入れて
出来上がり

ものの30秒・・・

種類も
豊富
(醤油、味噌、カレーetc.)
なので

探してミテミテ

ハイ

えー

先日の日記
第1部の冒頭


奈良で起きた家族を放火殺人を犯した歯科医師を目指していた青年は取調べで「今の自分を消したい。生まれる前に戻りたい」と言った。


カキマシタ

・・・
この学生は
火をつけた後

ワールドカップ
見てたらしいネ・・・

ウーン
・・・
こんな子に

罪の意識とか
命の重さとか
・・・
どうやったら
教えられるんデショウカ

多分


冷静に
事件を振り返って
みて
彼は
後悔していると
思うけど

「生まれる前に戻りたい」
と言ったのは
おそらく
ゲームのリセット感覚
ナンダロウネ・・・

自分自身を
別の家族で
やり直したい
ミタイナ・・・

ウーン

禅では
「父母未生以前本来の面目」
という言葉があります

自分自身が生んでくれた
両親
その両親が生まれる前
から
自分自身の
本来の姿が
あるんですよ

という言葉です

ソリャソウデショ

両親にはそのまた両親
オジイイチャンオバアチャンが
いないとこの世に存在しないわけだし
その前の世代も同じこと
・・・

チナミニ
25代さかのぼったら
直系の御先祖サマ
だけで
何人いると思う?

・・・

1億4000万人

たった25代で
日本の人口を超える
人が
自分の先祖
ナンデスヨネ・・・

その全ての
DNA

ここにいる
私たちは
それぞれが
受け継いでいる
・・・

その
有難さ
不思議さ
尊さ

噛み締めてもらいたいネ

タトエ
どんな状況に
自分が生まれてこようとも

ここにいるだけで
何より
価値があるってこと

有名な言葉に

あなたが空しく過ごした今日は
昨日死んでいった者が
あれほど生きたいと
願った明日

トイウノガアリマス

・・・
ホントは
言葉なんかじゃ
伝えきれない
けれども

コトの波
コトダマ

って
いうくらい
人は
言葉からも
大きな力をもらえる

この事件も
悲しいけれど
他人事では
ナイデスヨネ

予期せぬ出来事が起きて
思い通りにならなくて
自分の力ではどうしようもなくて

それでも
今日を生きる

涙が止まらなくても
歯を食いしばってでも
血のションベン流しても

その心が

「日日是好日」
トイイマス

ソシタラ
日差しが暖かい
雨に潤いを感じ
空気がおいしくなる
ッテコトデスネ

あー

今日は

雨でした。

明日は

晴れるかな?
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by kouhouji | 2007-02-17 18:51

サザン

あ、イヤ

イミは
アリマヘン

スンマセン

ナントナク
ハイ

そーゆー
日があっても
いいかな


イヤ

好きですよ
サザン

もう


25周年くらい
ファン歴

エェ
小学生の頃から
デスシ

ウン

ダカラ
話は
ないけど

ナントナク


ハイ

いや
今日は
坐禅会
だったんですよ

ウン

そしたら
初参加のカタが
一名

ケッコウ
お若い
男子


話を聞いたら
ネット

見つけたらしく

車で
きましたー
っと

近くですか?
って聞いたら

神崎ダト!

1時間半やん!
すご・・

ワザワザ
遠方より来て頂いて
感謝デス

ホント

まー

余りにも
遠いので

そのカタの
ご近所の
坐禅会を
してる

ネットに
乗っていた
お寺を
紹介シマシタ

ウン

んで
サッキ
そのお寺に
報告しなきゃ
と思って
電話しました

「あー
 もう
 やってないよ」

・・・へ?

あっちゃぁ・・・

マタ
彼は
ウチへ来るかも
しれまへん

ガンバレ・・・

って
ことで

昨日まで
4部構成

お送りしました

臨黄合同協議会の
報告・・・

ツウカ

こんなシテ
ブログ
載せちゃって
イイノカナ・・・

・・・

・・・

ウン
シカタナイ

よかさ



ってことで
2日間の
討議内容を
4部に
まとめたのですが

まー
ナンツウノ

せっかくだから
チョットずつ
ひもといて

私自身
言い足りない
とことか

不十分なとことか
あったので

少しずつ
振り返ってみたいと
オモイマス

まず
第1部

「あるアンケートによると生まれてきて良かったと思う人はアメリカの場合60%程度であるが、日本の場合は15%に満たないと言う。」

あの・・・

今気付いたけど
スゴイ
大きな
ミスを
シテシマイマシタ

本当はコウ書きたかったデスよ
「あるアンケートによると今の家に生まれてきて良かったと思う人は・・・」

デシタ

あっちゃぁ
スイマセーン

・・・セーン

ハイ
ハンセイ

はい


ソウナンデスヨ
はい

ヤなんだって
現状が

これ・・・

満足してないッテコトデショ
楽しいときイガイ

フーン

まーデモ
自分を振り返ってみたとき
そうだったかもしれない
小さいとき・・・

幸せですか~?
って聞かれて
「はいっ!」
って
答える
子供では
なかったような
気がします・・・

ドウナンダロ?
日本人気質ってこと?

ウーン

聞かれたら
不満って答える
ってことは
不満が常にあるってことだから
・・・
夢がないってこと?

夢や希望??

夢や希望モッテル人は
今が不満だ
とは
言わないよねタブン・・・

そっかぁ

子供たちに
夢や希望
与えてないんだね
ワタシタチ・・・

さて
なにしよ?
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by kouhouji | 2007-02-15 20:44

第4部

アレ?

チョコは??

ソッカァ・・・

マーネー

もう
もらっちゃったしね・・・

何個も
期待しちゃ
アキマヘン

ヘイ

えー

佐賀は
久しぶりの雨で
埃が沈まって
庭が
見違えるほど
キレイに
なった

ハァ・・・

自然の力は
スゴイね

イヤイヤ

今回で
最終回
協議会の報告です

自然の偉大さ

ウン

感じなきゃデスヨ

ハイ

デワ

ドゾ

-----------------------

禅の可能性

それでは禅は何が出来るのか。禅は来るものは拒まず、去るものは追わず、外に求めるもの無く、生死事大、己事究明するものであるから営業もしなければ宣伝もしない。しかし上求菩提、下化衆生の精神の元、これからは外に向かって積極的に働きかけることを怠ってはならない。かといって世間に迎合し過去の過ちを再び繰り返すようなことがあってはならない。それらを考慮して、この情報過多の社会において禅の特筆すべきことは何か。
まず思い浮かぶのは坐禅である。今の一般の方々でも坐禅に興味を持っている方、坐禅会に参加される方は多い。しかし、殆どの方が一時的で、数回の坐禅を経験するだけで、一年以上継続して参加される方は稀である。例えば企業の研修で「社員を鍛えてほしい」ということで坐禅に参加される方がある。2,3日の研修で足の痛い思いをするが、その痛みを精神が鍛えられたものと勘違いし満足して帰ってしまう。そして継続することはまずありえない。つまり本来の坐禅の良さを体験しないまま、足を遠ざけているのが現状である。では坐禅の本来の良さとは何か。
十牛図という書物がある。悟りを求めるまでを十にわけて絵を描いて表したものである。これには悟りの境地を「人牛倶忘ジンギュウグボウ」として表している。ここには何もかかれていない。人も牛も求めるものも何も無い。悟りすら求めない、そこが悟りの境地である。しかしこれは八番目。ここで終わりではない。その次には「返本還源ヘンポンゲンゲン」とある。ここには枠一杯に自然の姿が描かれている。つまり悟った、その姿と言うのは自然そのもの、今までと何ら変わることのない、ありのままの自然の姿であるということである。夢窓国師は「山水の特質なし 特質は人の心にあり」と仰った。自然の姿に計らいはなく、人の心が計らいを作り出すだけであると。つまり自然そのままの姿に戻ることが悟りであるということである。そして最後に「入鄽垂手ニッテンスイシュ」とある。ここには町の人と語らう笑顔の和尚さんの姿が書かれている。つまり悟ってありのままの自分に気付いたら町の人と笑顔で語らうことが出来る。難しい仏法を説くわけでは無く、人の話を聞き、笑い、涙する・・・人と人との会話をおこなう、そのこと自体が布教であり、救いであるということである。
坐禅は姿勢を正し、息を数えながら整え、心を整えていく(調身調息調心)目をつぶらず、半分だけ開けて視界を遮断しない(半眼)そうすると小さな音や、動きが感じられるようになる。遠くの鳥や虫の声、風の音、匂い・・・このように自分自身の五感が敏感になってくる。つまり坐禅は感じ方をあげる、感度を磨き、そして自然を感じる稽古なのである。
芸術家も自らの感性を磨くように、禅僧も坐禅によって感性を磨かなければならない。只そこにいるだけで話しかけたくなる、聞いてほしくなる、それだけで救われると周りから思われるようにならなければいけないし、その手段である坐禅を色んな人に進めずにはいられないように自らが動き出さなければならない。今誰もが最も苦悩している人と人とのコミュニケーション・・・これを円滑にするための最も有効な手段は自分を磨くことであると、そのためには坐禅が最も優れていると自信を持って推進すべきである。
日本には七万五千件の寺院があるという。これはコンビニより多い。なのに世間の仏教に対する認識の低さは目を覆うほどである。坐禅会然り、法話会、精進料理、寺子屋、コンサート・・・一方通行ではいけない。多くの方が双方のコミュニケーションを取ることの出来る布教「入鄽垂手」を推し進めなければならない。
最後に今後、この臨黄協議会にて一万人坐禅会の実現へ向けて積極的な活動を開始することを誓う

以上

------------------------

ソウナンデス

やりますよ
一万人坐禅会

必ず

ま、いつになるか
判らないけど

そう遠くない
トオモイマス

どういう形に
なるか
・・・
東京ドーム
福岡ドーム
もしくは
全国一斉
とか・・

ゼンゼン
決めていません

でも
必ず
実行させます

この結論
ミンナが賛同
しましたカラネ~

あ、
デモ
そのときは

これを御覧の皆さん

参加してくださいネ

「たろおさんいますか~」
って探してください
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by kouhouji | 2007-02-14 20:16

コッチが第3部

ってことです

ハイ

えー

サッキ
帰って
来ました

今年は
マジ

イヤ

これから
数年
皿に

あ、
更に
忙しくなる

・・・
アーモー

このコトバ
キライ
なんだよね~

「忙しい」

・・・

デモ
今回は
どう
タイヘンに
なるのか

まだ
見当がつかない
から
チョット

心失う
状況ですね

ウン

ん?

ウン

マダ
ここには
カケマセンが

大きな
事業に
入ります

オソラクね

ンナもんで

遅くなりましたが
第3部
デス

ワタクシ
この討議のとき
もう
なんか
ウレシカッタデス

ナンカ
頭の中の
パズルが
完成したみたいで

ウン

あーのー

判りにくかったらすいません

マタそのうち
翻訳します

たろお風に

ハイ

でわ
ドゾ

-------------------
学校教育について

最近の子供たちは言葉使いが悪い。先生、大人、目上に対する敬いを知らない。それなのに権利を主張し、ちょっとしたことで上げあしを取る。テレビをつけると他人をいじって笑い転げる芸人、客席を見て育った子供たちにこのことを伝えるのは難しいだろう。メディアの成長により膨大な情報量からその選択が出来ない子供たちは、その様子を見て笑っている多数派に加わって安心しようとするため罪の意識無くそのまねをする。
そんな子供たちを叱るべき大人は、自分の子供は叱れても、他人の子供は叱れない。先生ですら怒る先生が少なくなった。これは怒る事を周りの親が奪ってきた結果である。あまりにも尊敬に値しない先生がいたことも事実であるが、その結果先生も、社会も、お寺も怒る事から逃げてきた。
ある和尚さんが余りにもうるさい子供を注意した。注意したのは子供ではなく親に注意した。すると嫌な顔をするどころか申し訳なさそうにその親は子供を諭した。実はこのようにして注意すると殆どの親は嫌な顔をするどころか逆に感謝されるそうである。メディアで取り上げられる素晴らしいと言われる先生も子供たちの目線に立って怒ってくれる先生である。我々大人は、怒る=めんどうくさいという構図を意識し、怒るという行為から逃げてはいないだろうか。
今の世の中は論理が成立すること、裏を返せば成立しさえすれば何でも許されると言う風潮がある。しかし、この論理を作り出すのはそもそも人間の情である。情なくして論理はありえない。つまり根本は人間自身の中にあるということである。例えば今のコミュニケーションで最も発達してきた手段がメールである。これは手段としては最も機能的であり効率的で論理に叶っている。あいさつすら文書として送られてくるだけである。しかし、あいさつをメールに表記すると言うことはそこに人としての情が存在するからである。でも結果として言葉が交わされることはない。つまり結果が優先されている、デジタルな社会である。
ここに着目すべきである。今の社会は結果を優先する余り、めんどうくさい、非効率なことを極力省いてきた。しかしそこに大事なものがたくさん詰まっている。特に言葉を発すると言うこと・・・怒ることも挨拶をすることもコミュニケーションとして人と人とを結びつける重要な役割がある。それによって本来あるべき人間関係を改めて構築すべきである。
結果ではなく過程に意味がある、そう考えることは、学校の中でも救われる子供も増えてくるのではないか。勉強や運動だけではない・・・それこそ本来のゆとり教育であり、心のゆとりである。
禅宗の修行道場での生活は非効率なことばかり、つまりアナログ生活である。この面倒くさいことを敢えて行うことが心のゆとりを生み出すのではないか。
ある和尚さんが檀家から質問を受けたが、もっともらしいことを言わなければならないと、躊躇して結局何も言えなかった事があった。しかし人は結論を求めているばかりではない。
朝比奈老師のところへある方が会社の再建の相談に来た。一通り話を聞いて老師はこう答えられた。「あーうーん・・・そう・・・困ったね」しかしこれを聞いてその社長はお礼を言って帰ったと言う。ここで社長の真意は測れないが、老師のような方でも本気で悩んでしまうことがあるのだろうか、と考えて心が楽になったのかもしれない。つまり結果が出なくてもヒントだけでも人は救われることがある。
お寺は、和尚さんは学校教育で失われたアナログな部分を積極的に推進する地域の中核になるべきではないだろうか。

-----------------------

ハイ
長文でスイマセンっす

デモ

ウーン

良かったヂョ
コレ

デワ
次回
最終回~
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by kouhouji | 2007-02-13 20:50

第3部

の前に

・・・
報告!

早くも
チョコ
イタダキマシタ
(敬礼)!!

しかも手渡し!

有難う

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イヤー
コマッチャウナァ~

ちあきチャン

でも
ホント
アリガトウね

え?
第3部

チョット・・・

も少し待って
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by kouhouji | 2007-02-12 19:15

第2部

えー

昨日に引き続き
臨黄協議会

お話

ツヅキ
・・・

ナンカネ・・・

まー
ワタクシの
言葉では
ナイミタイ
ですが

作ったのは
ワタクシです

当日は
書記を担当していたので
全ての
発言内容が

イマココニ
あるんですわ

ハイ

ンナモンデ
それを元に


せっかく
内容の濃い
討議だったので
マトメテミヨカナ

と思って

今回は
4部構成の
第2部

デス

デワ

ドゾォ

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祈りについて

衣食足りて礼節を知る、という言葉があるが、その日の食事にも困窮している人たちが祈りなさい、という事を実践できるのであろうか。「お前たちは苦労を知らないからそんな綺麗事を言えるのだ」と言われた和尚もいる。
困窮している人ばかりではない。皆と同じように学校に通う子供達は、先生から注意を受けると「教育委員会に訴える」と言い、そのことで実際懲戒を受けた先生もいる。そうなると教育の現場では事なかれ主義・・・注意をせずマニュアルに従い、ただ授業を進めていく。心の交流のない無機質な人間関係しか成り立たない悪循環の状態が慢性化してしまっている。
また家庭では、親が自分の理想を子供に「託す」という形で押し付けることで、子供が自らの人生観を見つめることを奪われている。
これらの問題の根底を考えたとき、それぞれに伝えるべき言葉が希薄である、と言うことが言えるのではないか。本来であれば子供に伝えるべき大人の言葉は自ら汗を流し、大真面目に取り組んできたところから湧き出てくるものであるべきだが、他人のどこからか借りてきたような言葉で済まそうとしているため心が込もっていない。つまり相手の立場に立って考えるという基本が欠如している。
子供に対する教え、しつけはいつから始めるのか、という問いに対して、三代さかのぼったところから始めなければならないといった言葉がある。一朝一夕に成せるものでもない。さらに今現在の教育しつけが三代のちの子孫に影響すると言うことである。それに親だけの責任、先生だけの責任ではなく、祖父祖母の世代、つまり家庭全体、引いては地域全体が今の子供たちのしつけに責任を持たなければならないと言うことである。
祈りの原点は感謝である。そして反省すること、懺悔である。他人や世間に色んなものを求めすぎて自分の存在が曖昧な状態になっている。経済的に裕福であっても心豊かな生活を送っているわけではない。今あることへの感謝、生まれたことへの満足感に気付くためには知足、足ることを知るべきである。何もかも必要なものは全て与えられている。それに気付くためには自分自身を見つめることであり、反省であり感謝である。
禅宗では食事の前に食事五観文をお唱えする。今これから頂く食事に対して、食材とそれに関わってきた全ての方々に感謝し、この食事によって今日一日自分自身をしっかり見つめて正しき仏道に精進します、という内容である。食べ物にはたくさんの教えが詰まっている。精進料理もただ殺生しないと言うわけではなく野菜そのものを如何に無駄にせず使うのか。あるいは食べれなかったものをどうやって次の命に繋げていくのか・・・つまり如何にそのものを生かすか、それが不殺生ということであり、そこに食材と同じ立場に立った真剣さがあり、反省があり、感謝が生まれるわけである。
日々の食事の中で感謝の思いを繰り返すことで、習慣化し、たとえ苦しくても、いや、苦しいときこそ感謝の心で手を合わせることを忘れないようにしたい。

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ハイ

えー
第3部は
学校教育について

ウン

まー
学校の先生方に
シテミタラ

余計なお世話かもしれません

んが
マァ

ソコハ
広い心で
オネガイシマスヨ

ハイ
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by kouhouji | 2007-02-11 19:45