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ええ話2

おはようさんデス

キョウモ
トリアエズ
ラクサシテモライマス

チョト
ムズカシイyo

でも
エエ話

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お釈迦さんはいった

どのような華々しい栄華も、やがて老いと病と死が粉砕する。

この世に死から逃れる場所は何処にもない。

頼るべき確かなものは自分のほかに何もない。


私は仏弟子として想う。

何かにすがる人は、その何かに必ず裏切られる。
気付かなければ、それは時間の問題だ。
この不安定な世界で、自分を確かなものに出来ない人が
安心して暮らせる場所はない。

当たり前のことなのに、人は何かにすがり、
求めるものを得ることなく恨みを抱いて、あるいは絶望して、
やがて老いと病と死に粉砕される。

仏弟子は、お釈迦様を限りなく愛するけれど、すがりはしない。

仏教の最大の目的は解脱(すべての束縛から解き放たれた状態)

仏教は、キリスト教やイスラムからすれば
悪魔の教えなのかもしれない。

映画のジャンヌ・ダルクで出てきた悪魔の言うことが禅寺の坊さんみたいだったのを思い出す。

祈りを否定しているのではない。
真正な祈りは素晴らしい。
私たちはそれを伝える僧侶であるが、これは本では学べない。

それは師から弟子へ、脈面と伝えられていく。
べつに秘密というワケじゃないのだ。
ただ、それを体験するには頭の知識だけでは、
どうしても不可知なものなのだ。

旨く喩えた先師がいて、
「光を知らない盲人が、どんなに光についての素晴らしい論文を
 書いたところで光をみたことにならない。」

この世で光を見るためには、
自分の「目」を開けなければならない。(肉の目ではないよ)
祈りは「目」を開ける重要な鍵になる。
お経はその目が、真正なものかどうかを知るための
重要なテスターになる。

おおくの人間が苦しいときに美しい幻を見てきた。
死の間際に母をみる。修行の最中に観音にあう。
確かに、慰めにはなる。
しかしこれでは、死んだときに坊さん呼んで
高いお布施払って、成仏させてもらうよう頼まなければならない。

私は仏の教えをうけたものとして
自分の足で、なすべき事をなしていきたい。
その生き様が、遺した者たちに知恵と勇気をあたえるようなものであるように。死んだときにお経のいらない死に方をしたい。

そう思うと、まだまだ死ねないな。

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チナミニ

清水章吾ハ

ホントに
きますデス
by kouhouji | 2006-09-13 07:48
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高峰寺の和尚の日記
by kouhouji
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